名前を伏せた理由。


この動画は『ワシントン・ポスト』紙行ったとある実験。

午前7時51分、ラッシュアワー時のワシントンDCの地下鉄。
一人の青年がバイオリンを弾いている。

彼の名はJoshua Bell。グラミー賞受賞経験もある著名バイオリニスト。
しかも彼が弾いているのはあのストラディヴァリウス。
しかし人々は彼に見向きもせず素通りしていく。

ワシントンポストの記事によれば、アメリカを代表する指揮者レナード・スラトキンにこの動画を見せ、散々感想と意見を述べさせた後事実を明かすと「NO!!!」と言わせたというから面白い。

例えば、ブランド品はそのネームバリューで捕らえられるし、外見のイメージで勝手にその人の性格を決めつけられる事もある。

芸術の世界でもそれは全く同じ事が言える。どこで教育を受けたかで評価が変わる事もあれば、商業写真の世界なんか未だに師匠の一門でなければできない仕事も沢山存在する。

人間は常に『固定概念』で物事を捕らえている。
人生を重ねて行くほど経験値は増え、物事を固定概念で捕らえるようになる。

表現する側からしてみれば、その『固定概念』はものすごく厄介なものなのではないだろうか。

先日の御苗場の展示はそういう考えもあり名前を伏せた。ありがたい事に昨年受賞した作品と名前を覚えてくださってる方も増え、また色々な所で繋がりを持つ事もできた。しかし「松永佳子」の写真として全てを見られたくないし、見られるのが怖かった。

自分も含めてだが、作者が誰かという事を知った前提で作品を見る事ははたして本当に作品を鑑賞している事になるのだろうか。作品の善し悪しを本当の眼(というか心)で見ていないのではないかと思った。

インターネットが普及して、情報は簡単に手に入るようになった。しかしその情報をしっかりと見極める力がないと、いとも簡単に間違った知識となる。

今回の御苗場で私がやった事は、空想の名前とプロフィールを掲示し、それらしく用意した連絡先を書いた名刺を置いただけ。外国人とのハーフという設定はやや無理があった気がしたけど、丁寧に英語でメールを下さった方もいた。本当は「いやこれは生粋の日本人の作品だ」と見破る人がいるんじゃないかと思っていたが、残念ながらそのような意見は頂けなかった。(ひょっとしたら見破った人はいるかも知れないけど)

固定概念って本当にコワイ。