3.11に想う

時計が深夜零時をまわった途端にテレビから流れる震災特集。
この週末はなんだか出かける気になれなくて、
自宅のソファーでただただボーっとテレビを見つめてた。
この1年の間に起こった事を思い出し、考えてた。

震災直後、世界各国からの支援が届き、
日本中が『助け合って』いた。
そんな日本人を誇りに思い、嬉しくもあった。

しかし、人間は忘れていく生き物。
テレビからは震災の報道は少なくなっていき
あんなに『助け合って』いた日本人であった筈なのに
利益の事や自分の事しか考えられない人がいることも現実なのである。

震災直後にみんなが叫んでいた『ボランティア』や『寄付』の言葉も
気づいたら少なくなってきた。
あの頃『支援は長く続ける事が大切』とも言っていたけれど、
生半可な『チャリティ』をしていた人達は、今ではどうしているのだろう。

被災地ではまだ震災は続いている。
私の友人の中にも、原発の恐怖と隣り合わせで暮らしている人もいる。
私はあの頃と同じように、今でも可能な限りの支援は続けているけれど、
やっぱり小さな人間に出来る事は小さな事ばかりで、自分のの無能を思い知った。

あれからずっと答えが出ていない。
『今の自分にできる事』

戦争の恐ろしさを教えてくれたおばあちゃんやおじいちゃんのように
私たちがやっていかなくてはならない事は
自分たちが経験した事、感じた事を次の世代に残していく事なのかな。
もし私に子供が生まれたら、全てを伝えて思いやりを忘れない子になって欲しい。

まだまだ解決すべき問題は山積みで、
日本中が笑って暮らせるようになるまでは復興とは言えないんだと思う。
しかし、元気でいることの出来た私たちが日常を取り戻し生活する事も
支援となっていくのかも知れない。

自然の驚異というものは時に人間の想像力をはるかに超える。
しかし、自然という物は繰り返し続いて営み続けている。
力強く咲く梅の花を見て、今年もしっかりと春はそこまで来てると思った。

あれから一年、人間の生死について深く考えた。
自分の中での生活スタイルも随分と変わった。
便利は誰かの犠牲の上で成り立っている。
また、知る事は自分を守る事。
今までニュースや政治に無関心な自分を恥じた。
自分の愛する人には精一杯の愛を伝えようと思った。

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